
最近不思議に多い、漢字をモチーフとしたロゴ。
単なる偶然か、それとも、、、?
CSS Nite公式ブログ によると、8月10日(金)19:00-20:10、YUI (Yahoo! User Interface Library) の Thomas Sha 氏 によるスピーチがアップルストア銀座にて行われるとのこと。
US からわざわざ来日されてのスピーチということで、都合がつけば参加するつもり。
多くの優良クライアントを抱えるデザインファーム IDEO のゼネラルマネジャーが語る IDEO 成功の秘訣、といった趣きの本。ものすごく多くの事例をもって語られるのは、
といったところ。文章には独特の高揚感があり、アメリカ的・シリコンバレー的な雰囲気を強く感じさせる。デザインの輪郭 を著した深澤直人さんもかつて IDEO に在籍、ということだが、デザインに対するスタンスにおいて、二人に差異を感じるのは、現場とマネージメントという違いなのか。ともかく、デザインファームという日本ではまだ珍しい業態の成功事例を豊富に読むことができる、価値ある一冊。
(*) 著者によれば「究極のブレーンストーミング」とは下記7項目であるとしている。
工業デザイナー・深澤直人さん 書き下ろしのエッセイ集。「INFOBAR」「壁掛式CDプレーヤー」といった他に例を見ないデザインを多く手がける深澤さんの発想の原点はどこにあるのか? 深澤さん自身の飾らないことばで書き綴った興味深い一冊。
プロダクトとウェブサイトという違いはあれど、深澤さんの言葉には、ウェブサイトにも適用できそうなデザインポリシーが感じられる。それは、モノとヒトとの関係性。それを使うヒトの状況・環境・心理など想定しないことにモノのデザインなどできないのは、ウェブサイトもプロダクトも同じ。モノとしてツールとして、デザインするにあたってどんなことを考えておくべきか、この書籍はさまざまなヒントを提示してくれる。
椅子をデザインするとき、情報なんて必要ないでしょう。
もちろん人は必要です。生活も必要です。
でも情報は必要ないですね。
今、何が流行っているかという情報を知れば知るほど、
自分のつくるものも
流行っている通りのものになってしまいますよ。情報は経験値です。
人が加工した情報は、たいしたことはない。
僕にとっての情報とは、あなたと私が今、
考えてはいなくても同じ椅子の座の感触を同時に感じているというようなことです。(略)
人間が生きるために使っている環境の中にあるすべての情報を
自分で自覚できるということがデザインできるということです。環境との関係性をみているんですよ。
ものをつくるという意味だけじゃなくて、
人とコミュニケーションする意味でも
インタラクションをデザインしている。
(「31 情報と経験」より)
(参考:フリーランスの手帳より)
自分自身守れてないところもあるけど、こうありたいと思っている。
以前、デザインや原稿をやり取りする際に聞かれた「違和感があります」という指摘。時々聞かれたので、慣れてしまいそうになったけれど、この指摘はよくよく考えてみるとおかしい。
何が「違和感」なのだろう。何が「違」くて「和」となっていないのか、逆に何が変われば「違」くなくなり「和」となるのか。それを説明せずただ「違和感が」とだけいわれても、それは指摘したことにはならない。特に業務においては、指摘する側は説明責任が生じると思われるが、その責任も当然果たされないことになる。
自分からすると、違和感発言は「こんなのやだ」と言われてるのと変わらないように感じる。そして思う、「違和感という指摘に違和感だ」と。
当然そんな対応がいいわけはなく、なぜそういう指摘があったのかを、指摘した側もされた側も考え、そこからどのような対応をすべきかを、検討していかないといけない。理由なくそのような指摘になったわけではないはずだから、その指摘には必ず理由があるはず。それを見つけ出さないことには、その指摘は意味をなさないし、そもそも、そんなやみ雲に指摘などしてはならない、という話にもなる。
UI を考える者にとって悲しいことに、UI がプロダクトの決め手とならないこと、どんなに UI がすぐれていてもそれがプロダクト全体の評価にまったく反映されないことが往々にある。いまに始まった話ではないけれど。
例えば、Windows と Mac の関係。どんなに Mac が UI 的に評価されようとも、パソコンショップで大きな面積で販売されているのは、Windows の PC であり、学校や会社でみんなが使っているのは、Windows であり、価格的に手ごろなのは、Windows の PC であり。市場はいろんな要素で優劣が測られ、そのなかにあって UI は無視できないにしろ、決してそれだけでは語れない現実がある。
ほかにもある。自分的には Flickr と fotologue の関係とかすごく気になる。日本発のプロダクト、というハンデを考慮しても、圧倒的に fotologue のほうがおもしろいインタラクションだし、ウェブサイトという枠ではくくれない、写真を通したコミュニケーションアプリのような雰囲気さえただよう。が、実際には Flickr 圧勝であり、fotologue はいつ忘れ去られてもおかしくないくらい存在感がうすい。
「Flickr はアップされてる写真がキレイだからいい」。エンドユーザーの評価としてどんなにまっとうなものでも、そんな観点でサイトの良し悪しを判断されては、制作者としてはもはやなす術なし、とか思ってしまうのではないだろうか。
つまるところ、どんなに「よいデザインを」「よい UI を」といっても、それだけの範疇でどんなに検討を重ねても最適解がでることはなく、マーケティング・ブランディングその他もろもろの周辺要素を加味していかないことには答えは出ない。逆にそれを考慮しないでつくられた UI は、UI として機能しない、独りよがりなお絵かきになる恐れがある。
矛盾?ともとれるフレーズだけど、思い当たるようなところもあり、興味深いフレーズとして印象に残っている。
もともとは「戦うWebデザイン」という書籍のサブタイトルについていて、どんな意味で使われていたかほとんど忘れてしまったけれど、無の状態に創造性は生まれない・逆境ともいえるところにホントの創造性が発揮される、みたいな感じで、憂き目にあってる人々へのエールとしてだけでなく、創造性を生みはぐくむための普遍的な法則を明らかにしているような気がして、興味深い一冊だった。
これ「戦うWebデザイン」というヘンなタイトルの書籍が言っているヘンなフレーズ、と言われればそのとおりなのだけど、でも最近、同様のフレーズを Ruby on Rails の作者 David Heinemeier Hansson が講演のたびに使っているらしく、おもしろいことになっている。
Constraints are liberating (制約が自由をもたらす)というのがそれ。このフレーズは、Convention(規約)が車輪の再発明を抑制し、プログラマがホントにあたるべき機能の開発に専念できるようになる、という Rails の基本コンセプトを意味していると思われるが、このフレーズが意味するものは、Rails に限らず、デザインなどにも応用できそうな考え方のように思う。
創造力を豊かにするための一つの方法として、例えば、まず制約を仮説的に構築し範囲を限定した上で次のフェーズに進める、とか。仮説と検証、といわれれば普通だけど、デザインなど他分野にしても、仮説を立てることを創造力が発揮する土壌づくりと位置づけると、いま以上によく進められるかもしれない。

もうひとつ Microsoft の話題。YouTube に 2003 年時点での Windows Vista(コード名 Longhorn )のコンセプトムービーがあがっている。
機能的にはともかく、UI 的には多少改善される印象の Vista だけど、このムービーはその上をいっている。文書ファイル、音楽ファイル、写真ファイル...といったファイル種別に関係なく、ほぼ同様の UI を提供していて、ユーザーは種別を意識することなく、単一のツールを使えばいいようになっている。現在はそれぞれ専用のアプリケーションで使い分けてるけど、結果、ユーザーがアプリケーションごとに操作方法を覚えないといけないし、ファイル種別が違うだけで別のアプリケーションを立ち上げないといけない。
動きも軽快で面白い動きをしてるし、2003 年のマシンでこのスピードなら、いまであれば大丈夫そうな感じがするだけに、残念。

Microsoft がワシントン大学と共同で開発を進めている Photolynth が興味深い。機能的には、何枚ものデジタル写真画像をもとに、3D の世界を作り出す...というものなのだけど、自分的には、その機能を実現させるための UI に興味を持った。
本来 2D しか表現できない写真をどのように 3D 化するか、というところで、ワイヤーフレーム的に構築された 3D の世界の中で、どこを写真の被写体としているか、がすごく自然に表されているように思う。情報の可視化の好例。